バーチャル交流会「中小製造業の救世主!外国人財雇用が成功する方法」を開催

‐㈱リバティトレイン‐

「㈱リバティトレインについて」
 
寝屋川市葛原の人材紹介業、㈱リバティトレインを主導するのは、代表取締役の田中 亮氏と、専務取締役の髙木暁史氏、営業の伊藤美穂氏。田中氏らは、もともと工業製品などの設計開発を行う製造業に従事してきた(現、株式会社MELOS)。安定的な人材確保を図ろうと、10年ほど前にベトナムへ進出( 現、M GDESIGN Inc.)、CADやCAM業務等をベトナムの優秀な人材に担ってもらい、日本へのデータ供給サービスを開始した。ベトナム人材のスキルの高さを実感した田中氏は、日本国内でもベトナム人の雇用を始める。こうしたノウハウを活かし、2017年には人手不足に悩む中小の製造業を支援しようと人材紹介業に乗り出した。株式会社リバティトレインは、ベトナム人の特定技能者の雇用に向けた人材紹介とサポートを展開し、これまでに年間約20社、約60名の雇用を実現してきた。そして、入国後2年以内の定着率は、約90%と高い実績を誇る。人手不足に悩む一方、外国人の雇用には二の足を踏む経営者が少なくない中、ベトナムに駐在し、ベトナムを熟知する田中氏と、製造業に精通した髙木氏、伊藤氏らの強力なサポートにより外国人雇用のミスマッチを防ぎ、成功に導いていると言える。

「スキルが高く、日本との相性が良いベトナム人材に注目」

現在、日本で働く外国人労働者は182万人(2022年末、厚生労働省まとめ)。国は、積極的に受け入れを進めようと、2019年、人材確保が困難な状況にある産業上の分野において、就労を目的とした「特定技能」制度を創設。「特定技能」として働く外国人のうち、6割近くをベトナムが占めている(出入国在留管理庁HP)。田中氏は、15年ほど前からベトナムに駐在し、日本と行き来して仕事をしている。ベトナム人の人材は、「非常にスキルが高い」と評価する。例えば、経済系の大学の学生でも機械加工、製図、CAD、簿記など幅広く履修し、将来海外で働けるよう多様なスキルを身につけているそうだ。そして、親日で日本との相性も良い。「数十名以下の小規模の製造業の会社には、ベトナム、特に北部の若い人が一番向いていると思う。従順で誠実。儒教の教えが色濃く残っているので、学校の先生、お父さん、お母さんが言うことは聞かないといけないという考えの人が多い。だから、高齢化している日本の製造業の社長さんから指示を受けることが苦ではない。そして、日本は彼らにとって先進的で、非常に人気がある」。人材紹介業を始めて6年。同社は、大阪を中心に全国の小規模な製造業に優秀なベトナム人材を紹介し、厚生労働省の認可を受けた登録支援機関として入国後のサポートも行っている。コロナ禍で往来ができなくなった時期もあるが、これまでに約20社、約60名の雇用につなげた(さらに10名が申請中)。入国後2年以内の定着率は、約90%と高い実績を誇る。「紹介した企業から『ベトナム人の人材がいなかったら、会社として乗り切られへんかった。ありがとう』と言ってもらえて、ベトナムの人たちにも『日本に来てよかった』と思ってもらえた時が一番嬉しい」と話す。

「高い定着率の秘訣は」

外国人雇用において、ミスマッチやトラブルなども指摘される中、同社が高い定着率を実現している秘訣は何なのか。それは、田中氏らがベトナムに熟知していることと、製造業に精通しているため、適した人材を見極める目があることだ。人材紹介の流れはこうだ。外国人を雇用したい国内の企業から依頼を受けると、まず髙木氏らが、ベトナム人が実際に働くことになる工場等を視察し、どのような人材が欲しいのか丁寧に聞き取っていく。そして、その情報をベトナムにいる田中氏に伝える。ベトナムの送出機関で、候補者として選ばれた人材をまず田中氏が面接。その上で、企業側にベトナムに来てもらい、田中氏同席の下、面接を行う。内定が出たら、そこから入国のための書類作成が始まるという流れだ。

 田中氏は、「もちろん、ベトナム人の全員が、勤勉、真面目というわけではない。日本企業に合うかどうか、職務内容が本人の資質と合うか、こうした側面をしっかりと見極めている」という。また、いつまで日本で働きたいのか、将来の展望の確認も欠かせない。一方、日本国内の責任者を務める髙木氏は、製造業出身だからこそ、同じ目線で企業にアドバイスができるという。はじめに企業側にメリットとデメリットをきちんと伝えるようにしている。「日本語能力がこれくらいで、仕事を教えるのに苦労するケースがあること、人件費についても安価な人雇いではないとはっきり伝える。日本で働く以上、『同一労働同一賃金』で、むしろ、ベトナム人への寮費補助や、我々のコストも加味すると日本人を雇用するよりも高い可能性があると説明し、『それでもやりますか』と確認している」。

 さらに、人選する際、同社が紹介するのは「実習生」として日本で3年から5年働いた経験のある人を選ぶことが多いという。日本での働き方、生活を知っているし、日本語能力がある程度見込めるため、メリットが大きいそうだ。このほか、企業の外国人雇用の経験も踏まえて判断。外国人雇用が初めての企業の場合、日本語能力がある程度ある人が望ましく、すでに何人かベトナム人を雇用している場合は、日本語能力よりも職務レベルを重視するなど、企業の状況に応じて適材を選んでいるそうだ。  面接は現地ベトナムでそして、同社の一番こだわっている点が、面接の際、企業側にベトナムまで足を運んでもらうことだ。「今では、オンライン面接も普通に行われているが、ベトナムに来てもらうことが実は一番重要だと考えている。目を見て話すこと、彼らが過ごしてきた現地を知ることで伝わるものが必ずある。企業側が、ベトナム人材を選んでいると同時に、彼らも企業を選んでいるので、立場としては“イーブン”だということをしっかりと感じ取ってもらいたい。それがミスマッチを防ぐ秘訣だ」とその狙いを説明する。企業側に、送出機関での日本語教育の現場や、ベトナムの街を実際に見てもらうことで、姿勢がガラッと変わるという。「小規模な企業の場合、ベトナムへの訪問は時間的にも費用面でも負担が大きいが、そこに労力をかけられないなら、雇用しても難しい」と言い切る。同社が対面にこだわる理由は、信頼関係だ。「弊社のフィルターを通す以上、我々には責任がある。彼らは、人生のうちの貴重な時間をかけて日本に来るのに、我々が人選の大事な部分で手を抜くと我々の存在意義がなくなる。結果的に、日本とベトナムとの信頼関係も薄くなってしまう」。同社は、登録支援機関として、入国後のフォローアップも行っているが、人選を十分に行っていることから、これまでにトラブルが起きた事例はないという。

「日本の中小の製造業を支えたい」

当商工会議所では、同社の創業時から様々な経営支援を行ってきた。田中氏に今後の展望を聞いた。「介護業界への人材紹介にも関心を持っているが、当面は同じ小規模の製造業として、そこを支えるベトナム人を紹介していくことを主軸にしていく」。日本の労働力人口が毎年50万人規模で減少すると見込まれる中、「外国人雇用が必要だと頭ではわかっていても、なかなか体が動かない」経営者も少なくないという。こうしたことから、同社では、企業の理解促進のためのセミナーを7月に枚方市で初めて開いた。関心のある製造業に参加してもらい、ベトナムとオンラインでつなぎ、日本で働くことが決まっているベトナム人たちが日本語学校で学ぶ様子を見学、交流の場も設けた。営業の伊藤氏は、「ベトナムの若い人たちは、目がキラキラしていて、『今から働くぞ!』という顔をしている。熱意や活気を感じ、『こんな子たちだったら受け入れてみたいな』と感じてもらうことができた」と手応えを感じている。今後もこうしたセミナーを定期的に開催する予定だ。田中氏はこう語る。「ベトナム人材が日本の中小の製造業を救うと本気で思っている」。今後も、リバティトレインが作る日本とベトナムの「つながり」に期待したい。

バーチャル交流会「中小製造業の救世主 外国人財雇用が成功する方法」を開催

ベトナム現地の日本語学校で勉強している人材とLIVE中継でバーチャル交流会を行います。数か月後に日本で就労が決まっている人財と交流してみませんか?

[日時]10月18日(水)25日(木)15:00~17:00

[会場]大阪府寝屋川市葛原1丁目35番3号 ㈱MELOS内会議室

[お申し込み・お問い合わせ]㈱リバティトレイン

TEL 072-300-2770 HP  http://libertytrain.co.jp/contact/

不器用FACTORY2023 in ひらかた

飾らずにありのままの姿を伝えるものづくり企業と地域が共創する
オープンファクトリーイベント「不器用FACTORY2023 in ひらかた」

ひらかた地域産業クラスター研究会 オープンファクトリー部会、枚方市

ひらかた地域産業クラスター研究会(事務局:北大阪商工会議所 内)と枚方市は、地域のものづくり企業の魅力を広く発信し、未来の担い手たちにその魅力を伝え、ものづくりのプロセスを楽しみながら学ぶことを提案します。さらに、地域の魅力を引き立て、子供たちと企業との新たな交流の場を創り出します。

【イベントの概要】
このオープンファクトリーイベントは、手先の器用さに自信のない子供たちでも楽しめるように企画されています。今年は地元の大型商業施設で開催され、多彩なお仕事体験・ワークショップイベント、最新のVR 技術を駆使した工場見学などが予定されています。また、参加者には参加企業のオリジナルトレーディングカードがプレゼントされます。


【オリジナルトレーディングカードについて】
このカードは、参加企業を分かりやすく紹介し、異なる企業のカードを組み合わせた遊び方を提案し、共創の機会を創出するツールとして制作されています。各カードはプロのクリエイターと各企業の担当者が協力し、それぞれの企業を表現するために2 つの異なるバージョンが参加企業ごとに制作され、参加特典として配布されます。企業の人格や価値観を表す「ヒト・コトカード」と、製品、サービス、技術、工場などを紹介する「モノ・バカード」が含まれ、参加者に多様な情報を提供します。


【産学連携】
大阪工業大学枚方キャンパスとの連携を通じて、半球スクリーンを活用した没入体験型バーチャル工場見学や学生によるトレーディングカードの活用方法についても検討中です。この連携により、より魅力的で効果的なイベントを実現し、参加者に新たな価値を提供できることを目指しています。

【日時】

集合イベント:2023 年11 月4 日(土)、5 日(日)2 日間
現地イベント:2024 年2 月予定

【場所】

集合イベント:KUZUHA MALL(大阪府枚方市楠葉花園町)
現地イベント:参加企業所在地

【実施主体】

ひらかた地域産業クラスター研究会 オープンファクトリー部会、枚方市

【協力】

KUZUHA MALL/コワーキングスペース・ビィーゴ/ダイコロ株式会社/テイク・ラボ/バイカイデザイン株式会社/大阪工業大学

【参加企業】

株式会社IFA住宅設計室/アクテック株式会社/朝日熱処理工業株式会社/エビス電子株式会社/香椎化学工業株式会社/株式会社大豊製作所/ダイコロ株式会社/株式会社テイク・システムズ/株式会社ノボル電機/ホソカワミクロン株式会社/株式会社MELOS/吉泉産業株式会社(12 社)

無料でも応募者が殺到!

「集まる求人票の作り方」セミナーを開催

‐㈲リョウママネジメント・仁井田社会保険労務士事務所‐

ハローワークインターネットサービスを利用するだけで即戦力人材を獲得するモデリング手法をお伝えします

10年前はポンと求人を出せば、バァーといくらでも応募があったけど、ここ数年は「待てど暮らせど、応募すらない始末・・・(トホホ)」
コツコツと求人票を見直していても応募者ナシ。
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中小企業の求人票は97%が残念な内容?!そんな求人票なら誰も見てないのですから、応募は無くて当然ですよね。ところが、わずか3%の企業は、書き方や出し方を工夫するだけで、欲しい人材を採っているのです!
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2020~2022年にハローワークが大手紹介会社波の新サービス導入及びマイナーチェンジを行いました。うまく使いこなす企業は、無料でいい人材を採るチャンスです。いったい何がどう変わったのか。どこに気を付けるべきか、ライバルに差をつけるノウハウを伝授します。

97%の求人票は応募すらナシ

中小企業でいい人材が採れる求人票はわずか3%。なぜなのか。原因は求職者が逃げる「NGワード」を書いてしまうから。ハローワークのインターネットサービスを120%活用し、応募や採用に結びつけます。採れる求人票には科学的根拠があります。

セミナー詳細・お申し込み

詳細は以下のチラシかウェブサイトを参照ください。

〇お申し込み
お申し込みはチラシ内の必要事項にご記入いただき、06-6203-2252までFAXでお申し込みください。
〇お問い合わせ先
 TEL 06-6203-2262
 Mial jimu@ryouma-consul.com

ひらかたサブチャンネル

枚方市公共施設のデジタルサイネージ活用で情報発信の社会実験を実施

 枚方市とケイズハウス㈱は、公共施設におけるデジタルサイネージを活用した情報発信に関する実証実験を行います。枚方市内に10台のデジタルサイネージを設置し、市民の皆様へタイムリーに枚方市からの情報を発信します。デジタルサイネージに放映する情報は自治体情報だけじゃなく、設置施設からのお知らせや緊急時の情報などを配信していきます。

「ひらかたサブチャンネル」とは?

 

「人が繋がる、地域が繋がる、ぬくもりのあるメディアと暮らし。」

 地域ならではのきめ細やかな情報を、最新のデジタルメディアで発信することを目的に「ひらかたサブチャンネル」を立上。スマートシティの技術で地域に密着したぬくもりのある情報を届けていきます。本取組では住む人の価値観やニーズに合わせたスマートシティの実現に向けて、デジタルサイネージを活用したまちづくりを推進していきます。デジタルサイネージには、発信ツールとしての機能に加え、Wi-FiやAIカメラを搭載し、最先端のICT技術活用した防犯、災害時の活用など、様々な機能が盛り込まれています。

スポンサーの募集

 新しい情報発信メディア「ひらかたサブチャンネル」では、自治体からのお知らせに加え、スポンサー事業者の民間企業広告の放映も行います。広告スポンサーになることにより、オプションで閲覧者の属性情報を取得でき、より効果的な宣伝戦略を得ることが出来ます。行政と運営する信頼度が高いメディアであり、市民への積極的なアプローチを行うツールとしてぜひご活用ください。※60社限定

新型コロナウイルス感染症に係る経営相談レポート

新型コロナウイルス感染症が令和2年2月~3月にかけて経済への深刻な影響の影を落とし始める中、当所では事業者の相談に迅速な対応をするため「新型コロナウイルスに関する中小企業・小規模事業者相談窓口」を3月に開設した。今回のThe NORTHでは、今後起こりうる厄災に向けた備忘録として、当所中小企業相談所における昨年の相談状況レポートを掲載したい。

 令和2年4月~令和3年3月は合計して2、915件の事業所にご相談いただいた。事業所の所在地を見ると枚方市1、370件、寝屋川市808件、交野市377件、その他18件、不明342件となった(図1・表1)。※ 不明については電話の問い合わせで事業所名などを名乗らず、施策の内容だけを尋ねてきた事業所をカウントしている。


 各月の傾向を見ると4・5月の相談件数が突出しており(図1)、国から出された実質無利子融資の仕組みや給付金の給付額算定方法などの相談が目立った(図3 ・ 5・表1)。要因としては緊急事態宣言が発令されたことにより、経済活動が大幅に下押しされ、先行き不安を感じた事業所の資金繰り対策への関心が高まったことが考えられる。
 緊急事態宣言が明けた7 -9月期の中小企業全体の経営上の問題点を見ると「需要の停滞」が顕著に表れていた(図4)。


 

 中小企業からの需要喚起への要望が高まる中、国から「Go toキャンペーン」や「特定定額給付金」などの経済活動を再開させる施策が打ち出された。それに伴い感染対策と経済活動を両立させることを目的に、デジタル化への対応や飲食店を中心としたテイクアウトやデリバリーへの事業転換をするために9月以降も「持続化補助金コロナ特別対応型」や「持続化補助金一般型」などの販路開拓支援に対する相談が継続して行われた(図2 ・ 7・表1)。

融資相談まとめ

 令和2年度の融資関連相談は「新型コロナウイルス感染症特別貸付」が285件と最も多く、以下「新型コロナ関連マル経融資」238件、「新型コロナウイルス感染症対応資金」18件となった(図2・表1)。4月の緊急事態宣言発令時は「新型コロナウイルス感染症特別貸付」や「新型コロナ関連マル経融資」など政府系金融機関融資への申請が殺到した。5月には日本政
策金融公庫の混雑を緩和するため「新型コロナウイルス感染症対応資金」が設けられた。民間金融機関融資は金利や保証料が政府系金融機関融資よりも優遇され、専用のワンストップ窓口も民間金融機関に開設したことから相談窓口が分散され、当所の相談対応も落ち着いた(図5・表1)。

給付金・助成金・その他相談まとめ

 令和2年度の給付金・助成金・その他相談を振り返ると「持続化給付金」が418件と最も多く、以下、「緊急事態宣言の影響緩和に係る一時支援金」96件、「大阪府休業要請支援金」71件、「雇用調整助成金」59件となっている(表1)。今回の持続化給付金は電子申請で行われたため、インターネットに不慣れな方や環境が整っていない方の相談が殺到した。また、給付金制度は融資や補助金と違い、審査や計画書の作成、返済などが不要かつ、事業全般に広く使える制度であるため、多くの事業所が申請を行った(図6・表1)。

補助金相談まとめ

 令和2年度の補助金相談は「持続化補助金コロナ特別対応型」が1、169件と最も多く、以下「持続化補助金一般型」569件、「事業再構築補助金」58件となった(図7・表1)。持続化補助金の相談傾向として締切日の前月に相談件数が増える傾向にある。特に6月と10月は「一般型」と「コロナ特別対応型」の締切日が重なっていたため、5月と9月の相談件数は大幅に増加した(図7・表1)。また、両補助金には業種別ガイドラインに基づいた感染防止対策の費用(消毒液やマスク、空気清浄機など)が補助される事業再開枠が設けられた。この感染防止対策費を目的に持続化補助金の申請を希望する事業所も少なくなかった。2月に入るとW ithコロナ時代のニューノーマルに対応するため思い切った事業再構築を補助する事業再構築補助金が発表され、相談件数が増加した(図7・表1)。

北大阪商工会議所の今後の取り組み

 ワクチン接種が始まり、今後経済回復への機運が高まることが推測される。それに伴い令和3年度補正予算では新たなビジネスへのチャレンジを促進するため、持続化補助金低感染リスク型ビジネス枠が設けられた。これは感染拡大防止のための対人接触機会の減少と事業継続を両立させるWithコロナを踏まえた新たなビジネスやサービス、生産プロセスの導入等に関する取組みを支援するものであり、多くの企業の利用が予想される。またアフターコロナにおいてデジタル技術の活用は企業に必要不可欠であることから、IT支援やDX推進のニーズも高まることが考えられる。このような多岐にわたった経営相談のニーズに応えるため、北大阪商工会議所は、総力を挙げて事業所支援に取り組んでいく。

North Notes of Historia 京街道編 Vol.2

布団の下に3mの鉄板かっこつけたい殿様

 紀州和歌山五十五万石の殿様、大坂城の城代、警備の大番衆などが枚方宿で休・宿泊していたことがわかっている。なかでも紀州侯の行列は約三千二百人、槍、馬印、手弓、具足櫃、馬、鷹、犬までそろっていた。毎年、枚方宿はその宿泊や人馬調達の仕事を行い、晴れがましくも、大変な駅務だった。

殿様は宿泊料を払わず

 大名行列は1日でマラソンコース以上の距離を踏破する。しかも連日。参勤交代は大変な強行軍だった。紀州侯の参府(江戸にいき将軍に面会)は和歌山出立後、貝塚宿で1泊、2泊目が枚方宿、そして大津宿か草津宿という順に進み、15~16泊(美濃路、東海道、中山道経由により異なる)で江戸に着くことができた。貝塚から枚方までおよそ12里、約50キロを午前4時起床、6時出発、1日でも、1泊でも宿泊回数を減らし、経費を節減するため、まさに韋駄天走りの行程だった。6代藩主宗直の時、寛保元年(1741)、それまでの伊勢街道コースではなく、宿駅制度の整った上方街道(京街道コース)を常用し始めた。宗直は在任41年と長く、参府17 回、帰国17回にも及んだ。後に、将軍吉宗となった頼方は5代藩主で在任10年6カ月、参府4回、帰国3回で、宝永8年(1711)の参府の際、上方街道、枚方宿を利用している。(参考 「東海道枚方宿」枚方市教育委員会)将軍家茂となった13代慶福は、4歳で藩主となり在任9年、帰国も参府もなかった。殿様は宿の本陣に泊まり、本陣は大名、旗本等の専用休・宿泊所といえる。軍旅と同じで、宿が請求書を出して宿泊料をもらうものではなかった。大名は宿泊料を払わず、かわりに祝儀を出していた。中小大名で2~3両(約12~18万円)、大大名の紀州侯が草津宿で渡した祝儀は、天明5年(1785)の記録では、宿泊、10両(約60万円)とある。小休の場合はその半額ほど。ある本陣では大名が当主と喧嘩し、祝儀を出さないこともあったようだ。どこの本陣も経営はきびしかったが、一方、本陣当主は世襲制で、馴染みの大名から名字、帯刀を許されることもあった。枚方宿の本陣は1軒で、三矢村にあり江戸屋池尻善兵衛家。「摂州御家中池尻善兵衛」の名前が刻まれた石灯篭が、意賀美神社境内(枚方上之町)に残っている。高槻藩永井家(枚方宿4村の預所)から許されたのだった。

「紀伊大納言宿」の関札

大名家の本陣宿泊は早ければ1年前、だいたい3、4カ月前に予約され、本陣から間取り図と一緒に御請書を出す。紀伊家では数日前に表用部屋吟味役が関札をもって先着し、本陣当主や宿役人と打ち合わせ、旅籠屋を割り振り、関札を立てた。関札は紀伊家の表祐筆が書いたもので、長方形の大きな木札に宿泊の場合は「宿」、小休の場合は「休」と書く。休泊するすべての本陣に事前に届けられた。このため各宿の
必要数、数十枚を長持に入れて勘定同心と七里之者(専用飛脚のような存在)が運んでいた。各宿にはこれを運ぶ人足の御用もあり、関札を預かった本陣は、三方に載せ、灯明をたき、床の間に飾り敬った。
 関札こそ大名行列の威光の象徴で、官職名を書き、紀州侯の宿泊所であることを掲示したのだった。東西の見附と本陣前に「何月何日 紀伊大納言宿」と敬称略で書かれた木札を高さ4、5メートルの青竹で掲示し、関札が立てられると、その期間、その本陣には他の大名は休泊できない。宿にとっても誇らしく晴れがましいことだった。
 宿泊当日、本陣では門と玄関に紀伊家の定紋の入った幕を張り、玄関前に関札を高々と掲げ、到着を待つ。宿内は往還筋の掃除がおこなわれ、清めの川砂がまかれた。

本陣当主が出迎え

本陣では、当日、出口村松ヶ鼻(帰国の場合は上嶋村)の立場(たてば 休憩所)へ見張り人足を出した。人足は一行が見えると腰につけた鈴を鳴らしつつ、「遠見が帰りました」と声を張り上げて走り、本陣に通報する。(旧「枚方市史」以下「旧市史」昭和26年“1951”枚方市)これを聞いた本陣当主は麻裃を着用、両刀を差し、西見附で平伏し、松並木をやって来る行列を恭しく迎えた。殿様の駕籠が当主の前に来ると、太さ5ミリ、長さ50センチ程の竹先に縦9センチ、横2センチ程の白い和紙でつくった名刺のようなものを挟んで差し出す。これには「枚方宿御本陣池尻善兵衛」と記され、近習が受け取り、殿様に「枚方宿御本陣、池尻善兵衛、是まで出迎え」と言上し、殿様から「大儀」と一言あるか、会釈があり、再び行列は動き出すのだった。
 本陣までは宿役人総出で先導し、本陣当主は腰をかがめて行列横を小走りで通り抜け、再び本陣前で平伏し殿様を迎えた。旧市史では、殿様の駕籠は本陣の玄関から上がり、上段の間まで行き、そこで駕籠から降りたと記されている。
 殿様の使用する物品はすべて大名家が持参し、本陣で用意するのは炭と薪だけだった。本陣での殿様の食事も風呂の準備もすべて従者が世話をし、本陣当主はお目見えのあと引き下がった。

布団の下に長さ3mの鉄板

 大名行列では風呂桶、食器、夜具、水、漬物の樽など、さらに碁、将棋の娯楽道具まで持って歩いていた。郡山宿本陣(茨木市)にある殿様用の風呂場には風呂桶はなく、着替え用の畳のスペースに続き、風呂桶を置くスペースがある。別に湯を沸かし、差し湯をしていたようだ。枚方宿の本陣も同様だったのだろう。殿様の便器は丸印をつけた長持に入れ、常に行列を離れず、必要に応じて簡単に組み立て、その周囲に幕を張った。膳具、寝具、浴具などは「中抜き御長持」として、殿様の休憩中に追い越して、先に本陣に到着するようにしていた。
 紀州侯独自の極秘の道具として丈余(3メートル余り)の鉄の延べ板を運んでいた。刺客の攻撃を防ぐため本陣上段の間には畳の上にさらに一段高く、畳2畳が敷かれたが、紀州侯の場合、さらに布団の下に鉄の板を敷いていた。鉄の板を入れた浅黄木綿の袋を、17人の人足で運ぶ極秘の長持まであり、側近しか知らなかった。(参考 歴史読本昭和31年12月号1956)紀州侯の行列は侍だけで約千三百人という大所帯で、宿中借りきりで、商人宿鍵屋にも侍等15人が宿泊したことがあるそうだ。

威儀を正しての行列は人目のあるところだけ

 大名行列のシンボル、槍投げの儀式は出立のときと道中の城下、宿の往還筋だけだった。大名行列は、大名の晴れ舞台であったが、ええかっこできるのは見栄えのいいところだけだった。殿様は城下や宿の中など人目の多いところは駕籠に乗り、その他は経費節減、時間短縮のためひたすら徒歩、馬を利用した。人足も臨時雇いが多く、経費を節約すれば、いい人材が集まらず、問題を起こすこともあった。枚方宿にとっては、多数の人馬継ぎ立てが必要で、天保3年1832)の紀州侯の場合、枚方宿常備の人足では足りず、周辺の助郷村が1507人の人足を出している。よって助郷村の負担は莫大だった。枚方宿の助郷村は周辺28カ村で、枚方宿の応援に泣かされていた。
 参勤の経費は天保2年(1831)の紀州侯の例では片道だけで8650両、およそ5億1千万円、そのほかに侍への手当が4280両、約2億6千万円、合わせて7億7千万円ということでした。規定数の侍の宿利用料金は公定料金でおおむね一般料金の二分の一、その差額は宿の負担だった。宿の負担分は年貢の減免でまかなわれ、どの大名も大いに見栄を張り規定を超える人数となり、超えた分は一般料金を支払ったため、宿はそれで帳尻をあわせていた。

がさつな「七里之者」

 紀伊家は江戸と和歌山の間に「七里役所」という飛脚の施設をおき、「七里之者」を配置した。枚方宿にも岡村の「宗左の辻」に「枚方七里役所」が置かれた。行列の通過1カ月ほど前に枚方にやってきて、行列の準備をし、通過後は残務整理を行い、都合50日程、滞在した。滞在費や人足代はすべて宿の負担、その上、御三家の威光を振りかざし、宿役人や人々に横暴で、金銭要求を行うなど大変迷惑な存在だった。宿では「一向がさつ」な連中と呼んでいた。毎年通行する紀州侯を崇め
親しく思う一方、助郷に動員されるなど、難儀で迷惑な存在でもあったため、昔から枚方では聞き分けのない子供を揶揄して「きしゅうさん」と呼び、泣く子と紀州様には勝てないという意味だったそうだ。紀州侯の参勤は毎年3月(御三家のうち尾張、紀伊のみ。水戸は常府)出発となっていた。外様大名は毎年4月、東西交代で参勤、譜代大名は6月と8月に参勤、在府、在国1年ずつで、なるべく分散させて重ならないようにしていた。

著:宿場町枚方を考える会 元会長 堀家 啓男

枚方宿本陣跡
枚方市駅から旧京街道を西へ徒歩約15分 枚方公園駅から北へ、淀川の手前で右折、旧京街道を東へ、市立枚方宿鍵屋資料館を経て、徒歩約15分

Nijiriguchi Vol.2

「神田の世界」観でお客様に寄り添う「愛され店」
KANDA Le Monde 代表 神田 博

 今回のNIJIRIGUCHIの主人公は、2015年香里ヶ丘に創業したKANDA Le Monde 代表 神田 博氏(41)。「Le Monde」はフランス語で「世界」、つまり店名は「神田氏の世界」観を世界に広げたいという想いが込められている。北欧建築を思わすエクステリアでおしゃれな扉や造作が来客を迎える。店内に入ると吹き抜けの高い天井が外観よりも広い印象を与え、アットホームで開放感のある空間と革張りのスタイリングチェアは、座る人に特別感を与えてくれる。一方、シャンプー台は落ち着いた照明の個室となっており、施術と相まって癒しのひと時を提供するに違いない。夫婦二人で切り盛りするには全てがちょうどいい、お客様に寄り添うことにこだわったお店、それがKANDA Le Mondeだ。

コロナ禍で客数アップ!?その秘訣は

 KANDA Le Mondeのサービスは、カット「ルモンドカット」、8種類の薬剤を使用したパーマ「ルモンドパーマ」、ウォームパーマ「ルモンドウォームストレート」、カラーリング「リタッチ」「フルカラー」など、骨格や髪質の違いを丁寧に見極めることにより、基本的な技術の高さ、仕上がり、手入れのしやすさに定評がある。シャンプーが気持ちいいということで、「ヘッドスパ」も隠れた人気メニューだ。
 KANDA Le Mondeでは、このコロナ禍で一時的に落ちた時期もあったが、すぐに客数アップに転じたという。どうやらその秘訣は前述のサービスの良さだけにあるわけではなさそうだ。サービスの外縁にある隠れた要素、それはまさに「人柄」。わがままオーダーにもしっかり話を聞き、スタイルを提案。悩み相談まで聞いてくれるとても優しくお客様に寄り添えるオーナーだからできるきめ細やかな気配り。これこそがコロナ禍であるからこそ常連客を増やし続ける要因ではないだろうか。

振り返れば都合の良かった異例の経歴

 通常、美容師になるには大学の代わりに専門学校へ通うのがセオリーだ。しかし神田氏は、大学で政治経済を専攻。卒業後、美容室で修業をしながら美容免許を取得したという異例の経歴を持つ。なぜこの業界に足を踏み入れるに至ったのか。当時は就職氷河期、大手であっても倒産やリストラ、減給のリスクがあるということをニュースなどで目の当たりにしていた。日本四大証券会社の一角、山一證券㈱が経営破綻した時代である。そこで彼は、自分が一生続けていく仕事なら、就職よりも手に職をつけ、起業した方が潰しが効くし、リスクが低い、と考えた。ちょうどその時、アルバイトは美容室。髪を触りデザインすることに魅力を感じている自分に気が付いた。結局、それが美容の道に進む決め手となった。政治・経済を学んでいたことも起業を目指すには都合が良かった。学生の頃から起業を考えていたという点では、近年のZ世代※(2000年~生まれ)のアントレプレナーシップと近い感覚かもしれない。「成功のカギは、的を見失わないことだ。自分が最も力を発揮できる範囲を見極め、そこに時間とエネルギーを集中することである」マイクロソフト創業者ビル・ゲイツの言葉だ。神田氏は最も力を発揮できる範囲を大学で見極め、以降そこに時間とエネルギーを集中してきたからこそ、KANDA Le Mondeがあるのではないだろうか。

※Z世代
Z世代とは、日本では主に「Y世代」の後、つまり、1990年後半頃から2012年頃に生まれた世代を指し、デジタルネイティブであり、SNSネイティブ、さらにスマホネイティブでもある。デジタルネイティブ、ソーシャルネイティブ、多様性を認める価値観、本質思考と共感性、リアリストで経済的に保守派、超コンテンツマルチタスク、という特徴があげられる。

経営基盤強化で商工会議所が支援

 商工会議所では経営に役立つ情報を常に発信し、経営基盤強化や販路開拓支援として経営者に寄り添った支援も行っている。その一環で当所の高田指導員は、神田氏に様々な情報提供をしていた。その中で神田氏の目に留まったのが「小規模事業者持続化補助金」だ。この補助金は、小規模事業者等が地域の商工会議所または商工会の助言等を受けて経営計画を作成し、その計画に沿って地道な販路開拓等に取り組む費用の2/3で補助、上限額50万円を補助するという制度だ。
 KANDA Le Mondeでは、この制度を活用し、2017年に「一般型」で採択、経営基盤強化の一環としてこれまで未着手だったお客様用駐車場を整備し、より遠方のお客様にも寄り添う体制を作った。もちろん、申請書作成支援には高田指導員が丁寧なフォローアップを行った。過去2年間の経営内容や周辺の経営環境を分析したうえで、販路開拓のために必要な要素を整理し、補助事業として経営基盤の強化に絞ったのである。高田氏の支援を受けて、神田氏は「申請書の書き方は、我々でいうお客様の髪質のように、独特の癖があり、その癖を理解されている指導員・高田さんの支援は大変ありがたかったです。」と当時の思いを語る。

KANDA Le Mondeの未来予想図

 小規模事業者持続化補助金は、小規模事業者が毎年1回申請することができる。その仕組みを活用して、KANDA Le Mondeでは早速次の一手を準備中だ。サービスの新たな柱を作り付加価値を上げ、デジタルによる販路開拓に取り組む。具体的には、ネイルプリンター導入による手の美容分野への進出だ。より幅広いコーディネートを提案できるようになることで顧客のすそ野を広げる。合わせてLINE@を活用した顧客へのダイレクトマーケティングによって、デジタルによる販路開拓を行う。マイクロDXへ一歩近づけるかもしれない、と高田指導員は意気込む。引き続き、中小企業相談所を中心に伴走型支援を行う予定だ。
 現在3人のお子様がいらっしゃるという神田氏。そのうち2人は、将来このお店を引き継ぎたい、と幼いながら
お店のお手伝いをしてくれるそうだ。事業承継不振により黒字倒産が社会問題となっている昨今、KANDA LeMondeの未来予想図は澄み渡った青空のように明るい。

KANDA Le Monde
〒572-0009 寝屋川市末広町16-33 TEL:072-832-9999
営業時間:10:00~19:00 定休日:月曜日 駐車場:あり
ホームページ:https://kandalemonde.business.site/
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『Nijiriguchi』とは

 「Nijiriguchi」は、千利休が茶室の入り口に取り入れた「躙り口」から拝借したローマ字。交流の場でもある茶室の中では、すべての人が平等ということを示すため、敢えて入口を低くし、身分が高い人でも、刀を外し頭を下げなくては茶室に入ることができない仕様となっていた。そのアイデアの想起が、我が街・北河内のシンボル「くらわんか船」の発着場の出入口であったと言われている。
 商工会議所も会員事業所様が分け隔てなく交流でき、意見を交わせる場でありたいという想いと、会員事業所様同士が繋がる小さな入口としてのコーナーでありたいという想いを込める。

KOCCI Exhibition Report Spin-off

クリエイターとの上手な付き合い方とは?
-地域資源をデザインする会社が事業者・クリエイター両方の目線から「かたる」!-

 展示会の様子や活用方法などを紹介する連載企画「Exhibiton」シリーズ。今回は「Exhibition × CREATER」として地域資源をデザインする会社、株式会社アトリエMay 代表取締役塩田真由美氏、菜津子氏に「クリエイターとの上手な付き合い方について」お話を伺いました。
 北大阪商工会議所では、展示会でのプロモーションなど販路開拓の強化に向けて、クリエイターと協業した出展支援を行っています。真由美氏、菜津子氏には、当所会員事業所10社で共同出展を行った第2回京都インターナショナル・ギフト・ショーにて、出展者が何をPRすべきか、どの様な展示方法が良いかなどのアドバイスをしていただきました。

※当所では、クリエイターを「クライアント(事業者・企業)の依頼に対して相談に乗り、付加価値を提案・提供しながらビジネスとしての信頼関係を気づいていただける方」と定義しています。
‐クリエイター目線から、展示会への出展について感じられたことはありますか?

 私たちは、「OSAKA STYLING EXPO」や「大阪勧業展」など、数々の展示会へ出展してまいりました。出展する展示会によって、その事業者に合う展示会、合わない展示会があると感じました。
 展示会には一つ一つテーマが設定されています。出展される事業者はそのテーマに基づいて、誰に何を伝えたいのか、規模やターゲット、価格設定はターゲットに合っているかを見極める必要があります。そこを外してしまうと望んだ結果にならないことが多いです。

‐ご自身で出展を経験されたからこそのお話ですね!ターゲットや価格設定などは、その展示会をリサーチすることで、ある程度把握出来ると思います。テーマに沿って伝え表現するという部分は、クリエイターが得意分野なので、是非連携してほしいですね。実際に事業者の方がクリエイターの方と連携される際はどのような点を心がけるべきでしょうか?

 近頃は、ダイレクトメールやWEBページの告知など、私たちの力を借りずともパソコンを使えば出来ることも増えてきました。その中で、私たちに求められることは、部外者だからこそ生み出せる発想や企画力だと思います。私たちはその会社やその商品に惚れ込み、良さを伝えたいと創作物を作成します。時代を敏感に察知し、会社や商品を売り込むためのストーリーや仕組みを作っているといえます。そのプロセスは実際目で見えるものでなく、無償では行えるものではないということを理解いただきたいです。
 また、デザインする創作物は、何気ない雑談など人間関係を通じ、事業者の雰囲気を感じ取り作られています。これなら自分たちでも作れたなどと思うのではなく、その背景にあるストーリーや仕組みを理解していただき、一緒に変革する!という覚悟で付き合ってほしいですね。

‐クリエイターとの上手な付き合い方があれば教えてください。

 どんなクリエイターでも得意分野や型を持っています。商品や会社の良さを伝えるために、特定の方とだけ付き合うのではなく、案件ごとに様々な方と付き合っていただきたいです。
 大企業の場合はデザインに多くのコストをかけることができますが、中小企業の方だとそうはいきません。そういった面は商工会議所が支援している国や府、市が行っている補助金を活用してほしいですね。

‐確かに、コスト面がクリアできれば、チャレンジできる幅が広がると思います。展示会出展など販路開拓を考えられている方はぜひご活用いただきたいと思います。また、色んなクリエイターにどこで出会えるの?という皆様に向けて、当所では、枚方T-SITE2階に「&Lab.」という拠点を開設しました。登録いただいたクリエイターとの交流会やワークスペースなどを設置しています。どのような取り組みを期待されますか?

 商工会議所の会員の皆様にも、登録いただいたクリエイターにもメリットとなる仕組みを期待しています。まずは、クリエイター×事業者同士お互いの人柄を売り込めるような仕掛けをしてほしいと思います。
 近頃は、物が溢れている世の中ですので、買ってみようと思わせる商品の企画が大切となります。売れるルートまで考えて、企画から販売までをコーディネートできる仕組みを作っていただければいい循環が生まれていくと思います。

North Notes of Historia 京街道編 Vol.1

五十七次ってほんまですか⁉「まきかたちゃいまっせ」「牧方宿」

宿場町枚方を考える会 元会長 堀家啓男

大坂夏の陣(1615)のあと、枚方宿は設置された。なぜ五十三次より遅れたのか。それは、豊臣家が大坂でまだ頑張っていたから。徳川家が勝利をおさめた結果、京街道四宿を宿駅に加えて東海道五十七次となったのだ。枚方宿が出す公文書でも「東海道牧方宿」と明記している。

枚方宿の誕生

枚方宿誕生の礎は戦国末期、枚方蔵谷(くらのたに)につくられた「枚方寺内町」の歴史と、そこで活躍した商工業者ら町衆の活動の積み重ねによって醸成された。
 戦国末期、蓮如上人が、越前の吉崎御坊を出て、水運に恵まれた出口にやってきた。そこで小さな坊(後の光善寺)を開き、河内での再興を目指す。上人亡きあと、要害で水害の心配のない台地、且つ、近くに水運の便のある枚方、蔵谷(くらのたに 現在の枚方元町)に拠点を移し、永正11年(1514)、「枚方御坊」が後継者実如によって開かれ、寺内町が生まれる。その後、蓮如の末子実従が住職となり、順興寺が開基。順興寺寺内は大坂本願寺や近辺の商工業者らが移り住み、枚方寺内町として大いに発展することとなったのだ。
 しかし、織田信長の本願寺攻めの「枚方陣取り」で枚方寺内町は消滅し、町衆たちは淀川の津であった近くの三矢に移り住み、発展に寄与する。秀吉の天下となると、秀吉は繁栄する三矢村を組み入れて文禄堤を築き、文禄5年(1596)には、文禄堤の上に「京街道」が置かれ、京坂間の陸路による交通が盛んになったことで、三矢村と隣村岡村は淀川の津として、また陸路京街道の中継地として大きく発展し、宿も増えることとなった。
 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いを制した徳川家康は幕府の開設に先立ち、まず江戸から京都まで東海道の宿駅を置く。大坂は豊臣秀頼が健在で後回しになった。家康が大坂夏の陣で秀頼を滅ぼした(1615)あと、ただちに京街道の伏見、淀、枚方、守口の四宿(京街道四宿と通称)を宿駅に加え、東海道とした。淀川舟運とともに陸路京街道が旅客、運輸の交通の幹線となり、これが江戸、京都、大坂間を結ぶ水陸の要衝、東海道枚方宿の誕生だ。

枚方宿の構成

枚方宿は、町場として基盤ができていた三矢、岡村を中心に岡新町、泥町村を加え、4村の構成とされた。守口に残る古文書で、守口宿が大坂夏の陣の翌、元和2年(1616)に宿駅とされ、枚方宿の設置も同時期と推定されている。
 村名に枚方がないのに「枚方宿」と名付けられたのは、戦国末期に基盤ができた商工業者・町衆による「枚方寺内」にあやかったのではないだろうか。
 枚方宿は東海道各宿と同じく百人の人足と百疋の継ぎ馬を用意する「宿駅」とされ、諸侯の参勤交代の駅務を務めた。三矢村には「本陣」と称した大名の宿泊施設や、人馬の継立を行う「問屋場」が置かれ、大名や幕府役人の通行を助けた。これらの宿行政を担当する「宿役人」は4村の村役人から選ばれた。
 宿の東の出入り口、京都側は「東見附」、西の大坂側は「西見附」と呼び、茶店があった。
 宿内の建物は当初は藁葺、後には防火に適した瓦葺の旅籠屋や商人宿、煮売り屋、商店が軒を連ねた。往還筋は約1.5キロにわたり、遠見遮断、蛇行、枡形など城下町に似た見通し困難、直進できないという特徴を有していた。幸いにもその道筋はいまも鮮明に残り、三矢の浄念寺前、枡形の一角に立てば近世、宿駅の雰囲気を味わうことができる。
 枚方宿4村も他村と同様に年貢を納めていた。それに加えて宿駅業務を務めたため、幕府の援助はあったものの村の負担は大きかったようだ。さらに、枚方宿周辺の28カ村には幕府によって宿を支援する助郷制度が適用され、その負担は村々にまで及んだという。
 枚方宿は守口宿とともに淀川舟運や山崎道(西国街道)による経済的影響を受けていた。特に伏見からの客や貨物が、大坂まで直行の船便で下ることが多く、下りの宿泊客や荷物が極端に少なかった。宿泊は、陸路の上り客にほぼ限られ、宿駅の経営にも支障が生じていた。宿ではこの現象を「片宿(かたしゅく)」と呼び、公儀の援助や支援を何度も要請した。要望はなかなか実現せず、枚方宿に飯盛女が多かったのも旅籠屋等を支える経営努力の一環であったのだろう。

品川宿から守口宿までの五十七次が東海道

宝暦8年(1758)大目付依田和泉守の問い合わせに、道中奉行所御勘定の谷金十郎は「東海道 品川より守口迄」と文書回答している。また、寛政元年(1789)、土佐藩から東海道筋についての問い合わせに対して道中奉行は「近江路を通り伏見、淀、枚方、守口までのほかは是無き」と文書回答している。(参考 「東海道枚方宿と淀川」 中島三佳 著)東海道は品川宿から五十七次目の守口宿までということで、枚方宿は五十六次目だった。但し、東海道を所管した道中奉行のマニュアル「道中方覚書」には、品川宿から守口宿まで「東海道は江戸より大坂迄馬継五十六ケ宿外人足役壱宿(注 守口宿は人足役のみであった)」の五十七宿と、品川宿から大津までの五十三次を併記している。京都までの五十三次が先行したことや、平和な時代が訪れた江戸中期の旅ブームや、浮世絵の「東海道五十三次」(安藤広重作)が大流行したことも重なり、「東海道五十三次」が一般に定着し、強いイメージを作り上げたのだろう。幕府官僚もそれを無視できなかったのかもしれない。近世を通じて枚方宿が受発した公文書は「東海道牧方宿」と明記し、宿役人はもちろん幕府等の発信人も枚方宿が東海道の宿であることを認識していた。(参考 「近世交通史資料集巻10」吉川弘文館 「枚方市史第3巻」枚方市) 
 なお、宿が受発する公文書では「牧方宿」や「東海道牧方宿」と慣用し、「牧(まき)」と書き、「ひら」と読んでいた。旅ブームで発行された旅行案内でもすべて「牧方」と記され、常用された。
 「枚方寺内」の住職実従が残した日記「私心記」でも「牧方」を使っていたので、すでに戦国末期にも慣用されていたのかもしれない。明治に入っても明治9年(1876)の枚方小学校の卒業証書で「牧方小学」と書かれていた。10年代には「枚方」に統一されたが、その後もなかなか行きわたらず混用されている。「まきかたちゃいまっせ」ほんまに。
枚方宿東見附  新町1丁目 枚方市駅北口下車、北へ徒歩約8分 
 同 西見附  堤町 枚方公園駅下車、北へ徒歩約5分
 同 本陣跡  三矢町 両見附から旧街道筋徒歩約20分

Nijiriguchi Vol.1

 

好奇心は永遠に。北河内の「今」を伝え続ける‐京阪ジャーナル社 代表・月刊AGORA 編集長 安里 他恵子-

京阪ジャーナル社は、昭和57年8月に創業した企業で、地域情報紙「月刊AGORA」(以降、AGORAと表記)を発行している。世紀末と言われた2000年の節目に同社の経営を引き継いだのが今回の主人公、安里他恵子氏だ。AGORAの記事には、自治体の特徴的な取り組み、医療、教育、歴史、時事コラム、まちづくり、モノづくり、ヒトづくり…etc.、と幅広い。地域の魅力をより深く知りたければ、まずはAGORAのバックナンバーに触れることをお勧めしたい。大手広告代理店、新聞社、出版社などを経てフリーライターに転身し、地域情報紙にたどり着いた。行政関連記事を分かりやすく伝える事を主眼に、パソコンのキーを叩く。まるでそれは、同氏が心酔してきたフラメンコの表現法そのものだ。規則正しく靴や手でリズムを打ちながら自己表現をする。市井の一市民として伝えたい情報をコツコツと記事にする。
 今回の「NIJIRIGUCHI」では、四半世紀にわたって北河内を追い続ける生き字引、京阪ジャーナル社・安里氏を紹介するとともに、同氏からこの地域にかける思いと本音を聞いた。

「ひと」のまち北河内。「ひと」にフォーカスしたジャーナリスト

 全国の市町村人口ランキング(2021年4月現在)で、枚方市は1741市町村中、56位、当所管内の寝屋川市、交野市を合わせると20位前後の規模になる。江戸時代は京都と大坂を結ぶ京街道の中心地として盛んに人が行き来していた。その京街道に沿うように走る京阪本線のちょうど中間に位置する中核市という立地もあり、京阪沿線のベッドタウンという確固たる地位を築いている。この特性を生かし、バブル期より地の利を生かした住宅開発を盛んに行ってきた歴史がある。特に香里団地は、日本住宅公団が開発した郊外型大規模住宅団地の先駆けであり、東洋一の住宅団地と呼ばれたこともあるほど。過去から現在に至るまで人々が往来し続ける地域、そしてこれからもその流れが途絶えることはまずないだろう。やはりこの地域・立地の強みはシンプルに「人」ではないだろうか。
 その特性にいち早く気づき、「人」を躙り口に、北河内を取材してきた安里氏の本能的な着眼・センスは素晴らしい。経験に勝るものはないと言うが、数十年にわたってこの地域の強みである「人」を描き続けたアドバンテージは、そう簡単に覆せるものではないだろう。
 単純に「人」と言っても奥は深い。単に人を紹介するだけではなく、必ずテーマがある。例えば、「教育」-自身が子育て真っ最中に「知りたい」という思いから社会問題とともに綴る。「介護問題」-自身のご両親の介護に直面したことで身近な構造的課題とともに記事にする。「就労支援」-AGORAの社屋移転記念パーティーでの来賓祝辞をきっかけに毎月、AGORAでは精神科病院生活訓練施設の就労支援を続けている…etc.。人を媒介したインスピレーションが彼女にきっかけを与え、多くの場合、情熱の捌け口として記事でアウトプットされるのだ。

四半世紀、地域情報を追ってきた安里氏から見た「北河内」とは

 月刊AGORAの配布エリアは大阪府北河内( 枚方・寝屋川・交野・門真・守口・四條畷)など6市、月1回の発行で部数は6万部を超える。それをこれまで350回以上発信し、取材・ライティングをはじめ広告営業も兼務、毎年年始には管内各市長からのコメントも掲載する。これを続けるのは並大抵のことではない。修行・業(カルマ)と言ってもいいかもしれない。その甲斐あってか、毎号多くのお便りが寄せられている。安里氏曰く「AGORAは市民の声で動かされる」と言う。どこかで聞いたようなフレーズと思いきや、政治は市民の声で動かされる、という民主主義の原則と同じであった。つまり「AGORAが市政を動かしている」、というのは言い過ぎかもしれないが、民意の一部を担っていてもおかしくはないだろう。
 そんな同氏は「この市に育ててもらった」という感謝や愛情の念を強く抱いている。それゆえ市民としての誇り(シビックプライド)がAGORAを創り続ける原動力となっている。では彼女にとっての力の源泉・シビックプライドとは何なのか。インタビューの中で出てきたキーワードは「市民が活動できる街」その源泉「枚方テーゼ」。
 「枚方テーゼ」とは、「社会教育の主体は市民自身であり、権利であり、市民が主権者となって、住民自治、学習を一体としてとらえ、民主主義を育て守る」という。(『枚方の社会教育』1963年、枚方市教育委員会発行資料より)。
 安里氏は、まさしく「枚方テーゼ」を享受しつつ、子育てを経験。市との協働参画意識で市民リテラシーを深めていった。そうしたことからAGORAの記事は、膨大な情報に惑い曇ることなく、市民主体の目線で細やかに情報を取捨選択し、わかりやすく伝えることを信条としてきたのだ。

安里氏にとっての「AGORA」、そして近未来の「AGORA」

「AGORAはお金じゃ割り切れません。採算度外視ですよ」と同氏は言う。結婚後は、新聞社に勤めながら、フリーライターとして、大阪市内や全国各地の取材もこなしていたが、子育て、母親の介護などを通して地域活動に邁進。いつしか同氏の生活の一部となった。AGORAはギリシャ語の「ひろば」。古代ギリシャの広場で市井の人々が語り合ったように、読者の「紙面井戸端会議」の存在でありたいと願う。同じく、ギリシャ語の「アレテ―(Virture)」は「徳」の意であり、「人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたもの」という。アレテ―はまさしく、次のAGORAのテーマだ。急激に進むICT社会の今。正しい情報を取捨選択するリテラシー(知見)や、世代間格差を埋めるという社会的使命に燃え、心身両面が活きる多様性のある交流社会を夢みる。安里氏の好奇心のアンテナは、汲めども尽きない。

『Nijiriguchi』とは

 「Nijiriguchi」は、千利休が茶室の入り口に取り入れた「躙り口」から拝借したローマ字。交流の場でもある茶室の中では、すべての人が平等ということを示すため、敢えて入口を低くし、身分が高い人でも、刀を外し頭を下げなくては茶室に入ることができない仕様となっていた。そのアイデアの想起が、我が街・北河内のシンボル「くらわんか船」の発着場の出入口であったと言われている。
 商工会議所も会員事業所様が分け隔てなく交流でき、意見を交わせる場でありたいという想いと、会員事業所様同士が繋がる小さな入口としてのコーナーでありたいという想いを込める。

展示会出展で使える補助施策をご紹介!!

The NORTHでは、新コーナー「KOCCI Exhibition Report」に合わせて、展示会等に活用できる管内の補助施策各種をご紹介します。ぜひご活用いただき、事業所の販路開拓等にお役立てください。

阪府 大規模展示商談会活用事業

国内で開催される大規模な展示商談会を活用し、販路開拓を目指す大阪のものづくり中小企業に対して、販路開拓に必要な技術や知識等を習得するための講習会と出展に対する経費補助を行います。
〈事業内容〉
(1)出展講習会の実施  
(2)出展に係る経費の一部補助
   25万円を上限として補助対象経費(小間料金及び装飾経費)の2分の1以内を補助します。
(3)出展前後における課題解決アドバイスの実施
〈対象展示商談会〉 
本事業では、補助する展示商談会を指定しています。


〈応募締切〉
(1) 令和3年7月開催の展示会分→令和3年3月12日(金)~5月10日(月)≪必着≫
(2) 令和3年10~12月開催の展示会分→令和3年3月12日(金)~7月30日(金)≪必着≫
(3) 令和4年1~2月開催の展示会分→令和3年3月12日(金)~10月22日(金)≪必着≫

〈お問い合わせ〉
大阪府 商工労働部中小企業支援室 ものづくり支援課 販路開拓支援グループ(出展支援事業)
〒577-0011 東大阪市荒本北1-4-17 クリエイション・コア東大阪北館1階
TEL:06-6748-1066 FAX:06-6748-1062 E-mail:hanrokaitaku@gbox.pref.osaka.lg.jp

方市中小企業魅力発信支援事業

販路開拓やビジネスチャンスの拡大を目的に開催する展示会等に参加される枚方市内中小企業者の出展費用が、一部助成されます。優れた技術や製品を広くPRしませんか?御社の技術・製品をPRされる際にご検討ください。
〈支援対象〉
枚方市内に事業所を置く中小企業による展示会、又はバイヤーマッチング出展費用
〈補助上限額〉
支援対象経費の2分の1 上限5万円 ※支援については、1事業者あたり年間1回です。
〈募集期間〉
先着順により予算の範囲を超えた場合、申請受付終了となります。お早めのご相談をお願い致
します。
〈お問い合わせ〉
北大阪商工会議所 中小企業相談所指導課
〒573-1159 枚方市車塚1-1-1 輝きプラザきらら6F 地域活性化支援センター内
TEL:072-843-5154 FAX:072-841-0173

屋川市中小企業経営・技術支援補助金

経営・技術改善を通じて経営基盤、技術競争力等の強化を目指す市内中小企業者や企業グループ等に対し、予算の範囲内において、補助金を交付することにより、市内事業者の成長・発展を図り、もって寝屋川市における中小企業の振興に資することを目的とします。
〈補助対象事業〉展示会等への製品出展事業
〈補助対象経費〉
製品、技術又は新たに製作する展示物若しくは
配布資料を日本国内で行われる展示会又は見本
市に出展するために必要となる出展料(消費税
及び地方消費税の額を除く。)
〈補助率〉補助対象経費の2分の1
〈補助限度額〉
(1)市内中小企業につき、1年度あたり20万円
(2) 寝屋川市モノづくりきらり企業認定要綱
(平成19年7月1日制定)第4条第1項に
規定する認定証の交付を受けた中小企業者
は、1年度あたり40万円を限度とする。
〈お問い合わせ〉
寝屋川市産業振興センター
〒572-0042 大阪府寝屋川市東大利町2番14号
TEL:072-828-0751 FAX:072-839-4343

野市産業振興事業補助金

自社製品又は技術の販路開拓のため、国内(交野市内を除く)の展示会や見本市に出展する際の出展費用を補助します。
〈補助対象経費〉
展示会・見本市への参加費用(会場までの交通費、宿泊費及び食糧費は除く)
〈補助金上限額〉1件あたり5万円以内
〈募集期間〉
随時(ただし、先着順です。予算の範囲を超えた場合は、申請受付終了となります。)
※ 申請をご希望の方は、下記お問い合わせ先に1度申込状況をご確認の上、申請して下さい。
〈お問い合わせ〉
交野市地域振興課
〒576-8501 交野市私部1丁目1番1号
TEL:072-892-0121 E-Mail:sinkou@city.katano.osaka.jp

KOCCI Exhibition Report Vol.2

近隣地域企業との関係構築、新規開拓の場として活用

抱月工業株式会社

この企画は、北大阪商工会議所が主催及び共催する総合展示会やバイヤー商談会、ギフトショーなどの各出展者4名にインタビューを行い、展示会に出展される目的や各展示会の特徴などをお伝えするものです。ぜひ、出展や来場のご参考にしていただければ幸いです。

第2回目は、大阪府内を中心とした企業の優れた技術・製品のPRによるビジネスマッチングの促進、出展企業間の交流促進による新たなビジネスの創出促進を目的とするビジネスチャンス発掘フェア(ものづくり企業による総合展示商談会)にご出展いただいた抱月工業株式会社です。
抱月工業株式会社は、昭和22年2月に抱月鍛造所として創立し、鋼板の切断といった一次加工だけではなく、マシニング、曲げ、開先などの二次加工から溶接まで一貫して受注する加工メーカーとして現在に至ります。多種多様な加工ニーズにお応えするために様々な厚み・材質・サイズの鋼板を使用しており、長年培った技術と豊富な設備を駆使して建設機械、医療機器、土木、橋梁、産業機械、輸送機向けの鋼板製品など、多岐にわたる用途の製品をお届けしています。今回取り上げ
るビジネスチャンス発掘フェアには、過去に何度も出展しておられます。
-----様々な販路開拓の方法がございますが、展示会に出展する目的をお聞かせください。またビジネスチャンス発掘フェアの成果はいかがでしたか?
[抱月工業(株)]

やっぱり1番の目的は新規開拓です。その他に外注先を見つけることも出展の目的としています。
成約を獲得することはもちろん出来ましたが、正直なところを話すと、継続的な取引を出来ていないのが現状です。どの様なアプローチ方法が良いのか模索しながら出展しています。
アプローチ方法を模索中ということですが、出展時に工夫していることをお聞かせください。
抱月工業(株) オリジナル製品を持っていないので、自社で加工出来る製品のサンプルを参加回ごとにテーマを決めて持って行くようにしています。また他の同業者と交流し、課題や悩みなどを話す中で、解決の糸口を探す様にしています。この様に他の企業と関係を構築出来るのも展示会だからこその醍醐味だと思います。

-----最後にどの様な方にビジネスチャンス発掘フェアをオススメしたいかお聞かせください。
[抱月工業(株)]

製品を持っている方や独自性のある伝えやすい技術を持っている企業には特にオススメだと思います。また出展者同士で交流し、関係を深めることが出来るので、近隣地域の企業と接点を持ちたい企業には是非出展いただきたいです。※当展示会は、枚方市、寝屋川市、交野市、守口市、門真市、八尾市、大東市、松原市などの大阪東部地域の企業が中心に出展いただいている展示会となっています。

[担当者からお知らせ]
今回、ご紹介したビジネスチャンス発掘フェアに関して、もう少し詳しく知りたい方やお申し込みを検討されている方は、中小企業相談所 指導課までお問い合わせください。料金や出展募集内容に関しては、本会報誌に封入しております出展者募集チラシをご確認ください。
また、ビジネスチャンス発掘フェアの出展料も対象となっている出展料補
助金がございます。別ページに記載している「展示会出展で使える補助施策をご紹介!」を併せてご確認ください。
[お問い合わせ先]
中小企業相談所 指導課 展示会・販路開拓担当
TEL:072-843-5154
FAX:072-841-0173

KOCCI Exhibition Report Vol.1

マーケティングとビジネス交流の場として活用

アクテック株式会社

この企画は、北大阪商工会議所が主催及び共催する総合展示会やバイヤー商談会、ギフトショーなどの各出展者4名にインタビューを行い、展示会に出展される目的や各展示会の特徴などをお伝えするものです。ぜひ、出展や来場のご参考にしていただければ幸いです。 記念すべき第1回目は、大阪府内の優秀な中小企業等が一堂に会し、技術力や企画力のアピール、製品、商品、サービス等のPR、販路の開拓等を行う大阪勧業展 (多業種型総合展示商談会) にご出展いただいた、アクテック株式会社の芦田知之代表取締役社長です。 アクテック株式会社は、昭和47年からアルミケース・アタッシュケースの製造を開始し、OEMでの大量生産から、個人・企業問わず、1台からのオーダーメイドも可能な事業所です。今回取り上げる、大阪勧業展以外にも多数の展示会に出展しておられます。

-----様々な展示会に出展されていますが、どのようなことを目的に出展されていますか?
[芦田社長]

新規顧客の獲得は勿論ですが、新商品のPRや出展者同士の交流も目的にしています。何故なら、来場者や出展者と交流を深める中で、自社製品のニーズや新商品の手応えを調査し、商品開発や改良のヒントを持って帰るようにしているからです。特に大阪勧業展は大阪府下の幅広い業種の来場者や出展者から、多岐多様な意見を聞くことが出来るので、毎回色んな発見や気付きがあります。

-----大阪勧業展の成果はいかがでしたか?また、成約を獲得するために心掛けていることはありますか?
[芦田社長]

弊社は来場者だけではなく、出展者の引き合いが多かったです。出展者と交流する中で、仕入先を見つけることもできました。成約を獲得するために心掛けていることは「商品の見せ方」です。展示会の雰囲気や来場者の特徴によって展示する製品やパンフレットを変えるようにしており、少しでも商談機会や成約が増える様に工夫しています。

-----最後にどの様な方に大阪勧業展をオススメしたいかお聞かせください。
[芦田社長]

出展企業の業種が幅広い展示会なので、製品や技術を色んな業種にアプローチしたい方にオススメです。比較的に安価な展示会でもあるので、展示会に出展したことのない方も良いと思います。

[担当者からのお知らせ]
今回、ご紹介した大阪勧業展に関して、もう少し詳しく知りたい方やお申し込みを検討されている方は、中小企業相談所指導課までお問い合わせください。料金や出展募集内容に関しては本会報誌に封入しております出展者募集チラシをご確認ください。
また、当所管内 (枚方市・寝屋川市・交野市) の市施策として、展示会の出展料補助金がございます。詳細に関しては、北大阪商工会議所HPをご確認ください。

【お問い合わせ先】
中小企業相談所指導課 展示会・販路開拓担当
TE:L072- 843- 5154
FA:X072- 841- 0173