Nijiriguchi Vol.1

 

好奇心は永遠に。北河内の「今」を伝え続ける‐京阪ジャーナル社 代表・月刊AGORA 編集長 安里 他恵子-

京阪ジャーナル社は、昭和57年8月に創業した企業で、地域情報紙「月刊AGORA」(以降、AGORAと表記)を発行している。世紀末と言われた2000年の節目に同社の経営を引き継いだのが今回の主人公、安里他恵子氏だ。AGORAの記事には、自治体の特徴的な取り組み、医療、教育、歴史、時事コラム、まちづくり、モノづくり、ヒトづくり…etc.、と幅広い。地域の魅力をより深く知りたければ、まずはAGORAのバックナンバーに触れることをお勧めしたい。大手広告代理店、新聞社、出版社などを経てフリーライターに転身し、地域情報紙にたどり着いた。行政関連記事を分かりやすく伝える事を主眼に、パソコンのキーを叩く。まるでそれは、同氏が心酔してきたフラメンコの表現法そのものだ。規則正しく靴や手でリズムを打ちながら自己表現をする。市井の一市民として伝えたい情報をコツコツと記事にする。
 今回の「NIJIRIGUCHI」では、四半世紀にわたって北河内を追い続ける生き字引、京阪ジャーナル社・安里氏を紹介するとともに、同氏からこの地域にかける思いと本音を聞いた。

「ひと」のまち北河内。「ひと」にフォーカスしたジャーナリスト

 全国の市町村人口ランキング(2021年4月現在)で、枚方市は1741市町村中、56位、当所管内の寝屋川市、交野市を合わせると20位前後の規模になる。江戸時代は京都と大坂を結ぶ京街道の中心地として盛んに人が行き来していた。その京街道に沿うように走る京阪本線のちょうど中間に位置する中核市という立地もあり、京阪沿線のベッドタウンという確固たる地位を築いている。この特性を生かし、バブル期より地の利を生かした住宅開発を盛んに行ってきた歴史がある。特に香里団地は、日本住宅公団が開発した郊外型大規模住宅団地の先駆けであり、東洋一の住宅団地と呼ばれたこともあるほど。過去から現在に至るまで人々が往来し続ける地域、そしてこれからもその流れが途絶えることはまずないだろう。やはりこの地域・立地の強みはシンプルに「人」ではないだろうか。
 その特性にいち早く気づき、「人」を躙り口に、北河内を取材してきた安里氏の本能的な着眼・センスは素晴らしい。経験に勝るものはないと言うが、数十年にわたってこの地域の強みである「人」を描き続けたアドバンテージは、そう簡単に覆せるものではないだろう。
 単純に「人」と言っても奥は深い。単に人を紹介するだけではなく、必ずテーマがある。例えば、「教育」-自身が子育て真っ最中に「知りたい」という思いから社会問題とともに綴る。「介護問題」-自身のご両親の介護に直面したことで身近な構造的課題とともに記事にする。「就労支援」-AGORAの社屋移転記念パーティーでの来賓祝辞をきっかけに毎月、AGORAでは精神科病院生活訓練施設の就労支援を続けている…etc.。人を媒介したインスピレーションが彼女にきっかけを与え、多くの場合、情熱の捌け口として記事でアウトプットされるのだ。

四半世紀、地域情報を追ってきた安里氏から見た「北河内」とは

 月刊AGORAの配布エリアは大阪府北河内( 枚方・寝屋川・交野・門真・守口・四條畷)など6市、月1回の発行で部数は6万部を超える。それをこれまで350回以上発信し、取材・ライティングをはじめ広告営業も兼務、毎年年始には管内各市長からのコメントも掲載する。これを続けるのは並大抵のことではない。修行・業(カルマ)と言ってもいいかもしれない。その甲斐あってか、毎号多くのお便りが寄せられている。安里氏曰く「AGORAは市民の声で動かされる」と言う。どこかで聞いたようなフレーズと思いきや、政治は市民の声で動かされる、という民主主義の原則と同じであった。つまり「AGORAが市政を動かしている」、というのは言い過ぎかもしれないが、民意の一部を担っていてもおかしくはないだろう。
 そんな同氏は「この市に育ててもらった」という感謝や愛情の念を強く抱いている。それゆえ市民としての誇り(シビックプライド)がAGORAを創り続ける原動力となっている。では彼女にとっての力の源泉・シビックプライドとは何なのか。インタビューの中で出てきたキーワードは「市民が活動できる街」その源泉「枚方テーゼ」。
 「枚方テーゼ」とは、「社会教育の主体は市民自身であり、権利であり、市民が主権者となって、住民自治、学習を一体としてとらえ、民主主義を育て守る」という。(『枚方の社会教育』1963年、枚方市教育委員会発行資料より)。
 安里氏は、まさしく「枚方テーゼ」を享受しつつ、子育てを経験。市との協働参画意識で市民リテラシーを深めていった。そうしたことからAGORAの記事は、膨大な情報に惑い曇ることなく、市民主体の目線で細やかに情報を取捨選択し、わかりやすく伝えることを信条としてきたのだ。

安里氏にとっての「AGORA」、そして近未来の「AGORA」

「AGORAはお金じゃ割り切れません。採算度外視ですよ」と同氏は言う。結婚後は、新聞社に勤めながら、フリーライターとして、大阪市内や全国各地の取材もこなしていたが、子育て、母親の介護などを通して地域活動に邁進。いつしか同氏の生活の一部となった。AGORAはギリシャ語の「ひろば」。古代ギリシャの広場で市井の人々が語り合ったように、読者の「紙面井戸端会議」の存在でありたいと願う。同じく、ギリシャ語の「アレテ―(Virture)」は「徳」の意であり、「人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたもの」という。アレテ―はまさしく、次のAGORAのテーマだ。急激に進むICT社会の今。正しい情報を取捨選択するリテラシー(知見)や、世代間格差を埋めるという社会的使命に燃え、心身両面が活きる多様性のある交流社会を夢みる。安里氏の好奇心のアンテナは、汲めども尽きない。

『Nijiriguchi』とは

 「Nijiriguchi」は、千利休が茶室の入り口に取り入れた「躙り口」から拝借したローマ字。交流の場でもある茶室の中では、すべての人が平等ということを示すため、敢えて入口を低くし、身分が高い人でも、刀を外し頭を下げなくては茶室に入ることができない仕様となっていた。そのアイデアの想起が、我が街・北河内のシンボル「くらわんか船」の発着場の出入口であったと言われている。
 商工会議所も会員事業所様が分け隔てなく交流でき、意見を交わせる場でありたいという想いと、会員事業所様同士が繋がる小さな入口としてのコーナーでありたいという想いを込める。